Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2006年12月8日(金) 「ごちそう」

自他共に認める食いしん坊で、食べ物の話をしているときが一番楽しそうだといわれる私。少し前まではレストランめぐりをするのが好きでしたが、今はそういうこともあまりなくなりました。こんな今の私にとってのごちそうって何だろうと考えてみました。もし私が死刑囚で、最後の日を迎え、好きなものを食べていいと言われたら、何を注文するだろう(明らかに映画の見すぎですが)。究極のときに(究極過ぎる例ではあります)思いつくのが本当のごちそうかなと思うのですが、こういうとき「あのお店のコレが食べたい」とか言ってもいいんでしょうかね。私は友達と「カレーの会」を作っています。資格は「カレーは別腹」であること。というわけで、私のごちそうは「カレー」ということになりました。おいしいカレーのお店があったら、ぜひ教えてください。しかし安上がりだなぁ。(M)

飽食日本に暮らしている以上、「ごちそう」が随分身近になってきたと思う。フォアグラ、キャビア、トリュフなどお金さえあれば何でも食べられるようになった。しかし「ごちそう」という言葉が本来持つ「何かの用意をするために奔走する」という意味からすると、アメリカ産牛肉を確保するまで販売を中止していた吉野家の牛丼は今や日本有数の「ごちそう」と言えるのではないだろうか。周囲の人間から、もし輸入禁止処置がなされる以前の狂牛病にかかったアメリカ産牛肉が日本に入ってきた場合、私が全国で一番狂牛病に掛かる可能性が高いのと太鼓判を押されるほどに牛丼を食べて、食べて、食べ続けた私にとって、食べたくても食べられない吉野家の牛丼というのは私にとって最大の、そして夢にまで見るほどまでに憧れの「ごちそう」であった。(HK)

実家は「いただきもの」の多い家なので、常に食物があふれていた。酒類、菓子類、くだもの、ハム、缶詰、野菜、お米、蕎麦、たまご、醤油、油、塩、砂糖、コーヒー、日本茶、紅茶、ジャム、海苔など、ざっと思い出しただけでも、「いただきもの」があちらこちらで山になっていた。はっきり言って「いただきもの」で暮らしていた。母親は、お中元とお歳暮の季節が近づくと、その処理(大変らしい)を思い浮べては、憂鬱がっていたほどだ。バチ当たりな話である。そんな実家を離れて初めて知った果物の値段。高い。実家ではいつも食べきれずに腐らせていたのに。リンゴが食べたい。しかし、スーパーのリンゴコーナーで値札を睨みつつ、実家で放置されているだろうリンゴの山を思い浮かべると、どうしても購買意欲が失せしまう。「次の休みにもらいに行こう‥‥」。そんなわけでリンゴを買えずにいたら、先日ある友人が「青森の知り合いが送ってくれたから」と言って黄色いリンゴをひとつおすそ分けしてくれた。嬉しかった。そのリンゴを、二日に分けて食べた。大切に切って、大切に食べた。おいしかった。今のわたしにとって一番のごちそうだった。そして、リンゴひとつに感動している自分に感動したのであった。めでたしめでたし。(MT)

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