itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。
2006年10月20日(金) 「おっとり?せっかち?」
子どもの頃はせっかちだったと思います。夏休みや冬休みなどの宿題は必ず前もって終わらせて、あとは遊ぶだけという感じでした。夏休みの宿題は7月中には終わっていました。それがいつのまにか「ちょうどピッタリ」が好きになっていました。待ち合わせも早めに行くでもなく、遅れて行くでもなく、ピッタリの時間に合わせていきます。締め切りも、最後にちょっと慌てて、ピッタリ間に合うようにします。スローライフにも憧れますが、やっぱり「ピッタリ」が自分にはしっくり来るような気がしています。(M)
わたしは明らかに「タイプA」です。つまり、せっかち。話すスピードは速いし、決断も早いし、事務処理スピードも速い。確かにそうなのですが、でも実は気の長いところもあります。たとえばわたしは、人に待たされるのはなんとも思わない。待ち合わせで長く待たされたとき、「自分が間違えたのでは?」と心配になることはあっても、イライラしたりすることはない。それに、どこかに時間通りに行かなければならないということでなければ、渋滞もまったく気にならない。何時間でもハンドルを握っていられます。レストランで食事が出てくるのが遅くても、気にならない。イライラするのは、結論が見えない長い話とか(自分はするけど)、意味がなく長いミーティング。仕事以外では、手際が悪い店員などにもイライラしますね。こんな風に、自分の中に時間にうるさいところと、そうでないところがあります。わたしは絶対におっとりタイプではないけれど、スピードが速いというのと、せっかちは、重なるようで重ならないところもあるのかな、と思います。最後に。わたしは、せっかちな人にせかされるのは大嫌いです。(C)
大学の後輩が私のことを「会うといつでも、のほほんとしている姿には。常に安心感を覚えます」と紹介するように、私はおっとりしているという印象を周りに植え付けていることに成功している。この後輩は営業の仕事をしているのに、外回りであろうと目が痛くなるほど鮮やかな黄緑色のシャツに、これまた鮮やかなピンク色のネクタイをしていて、新入社員なのに社内にいるときは常に鼻歌を歌っているような男なので、この男にだけは「のほほんとしている」と言われたくないのだが、言われたからには仕方ない。確かに卒論も1月7日提出だったのに、正月までのんびり準備していた。しかし、このことだけで私のことをのんびりというのはあまりに早計だ。その後のあわてっぷりといったら、せっかちという言葉では言い足りないほどである。代償として、せっかちになることもありうるのだ。おっとりとせっかちという対極にあるような人格がなぜ一人の男に同居しうるのか。計画性のなさが成せる技である。めちゃくちゃな例えだが、私がもし社会主義国であったとしても五カ年計画なんて考えも思いつかないだろう。ちなみに他人に対しての人格は一つ。全ての事柄においてせっかちである。妥協は許さない(相手が恐い人ではない場合)。(HK)