Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2006年6月30日(金) 「偶然」

偶然、知り合いによく会います。たいてい、予想もしないような場所で。少し前に立て続けに知り合いに会いました。ひとりは学友で、もうひとりは以前の仕事関連の人。学友のほうは正面から歩いてきて、「ウソでしょー」と言う私に「ほんと、ほんと」と言って近寄ってきました。仕事関連の知り合いのほうは、以前にもどこかの店で会ったことがあり、2度めの偶然です。「この人、知ってるよなぁ・・・」と思いながらすれ違い、振り向いてみると向こうも振り向いていた、という感じ。今も2人とはときどき食事をしたり、連絡を取り続けています。そして昨日も偶然、以前の職場で一緒だった人と会いました。今回は向こうから話しかけてきてくれました。こういう偶然って本当に嬉しいですね。運命的なものすら感じます。でもそれと同時に、関係を途切れさせてしまった自分の“ずぼら”さも思い知らされます。もっとマメにならないと・・・。(M)

「偶然」という言葉の意味は辞書上では「何の因果関係もなく、予期しないことが起こること」とのことだが、哲学的に考えて因果的決定論の立場をとれば、原因と結果の関係は全て因果律によって支配されているので、「何の因果関係もない」という偶然は起こりえず全てが必然であると考えることができる。この学説に基づいて私が偶然と考えていた出来事について考えてみたい。仕事帰りにたまたま乗った電車の中で、空いた座席で寝ていて目覚めると、知り合いが向かい側の座席に座っていた。これは普通に考えてみれば偶然である。私と知り合いがその電車に乗っていたことも偶然だし、その車両のその座席に座ったのも偶然といえる。しかし、私がその電車に乗った原因を考えると、電車に乗った原因、その座席に座った原因はそれぞれ特定できるわけだし、知り合いの原因もまた然りである。こうした原因の結果として私と知り合いがそこで出会ったとすれば、何かしらの因果関係が働いたいるので「偶然」とはいえないのではないだろうか。さて、原因の詳細の説明については割愛させていただいた。原因の量はあまりに膨大で、無理に説明したら今日の仕事全てをこのエディターズルームに傾ける結果となり、こんなフザけた文章を一日がかりとは「この給料泥棒めが!」と叱責されかねないこと、もう1点は説明するのが面倒くさいのだ。こうした時に便利なのが「偶然」という言葉だ。原因の説明をしようにも、「偶然」という原因が存在しないのだから説明しようがなくなるからだ。このことを知ってか知らずか、子どもの頃、親にテストの結果が悪いことを怒られたときなど、よく「偶然出来なかった」、「たまたま出来なかった」と言い訳していたものだ。もちろん火に油を注ぐことになったのは言うまでもない。(HK)

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