Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2006年5月26日(金) 「車」

意外に思われることが多いのですが、私は車の運転が大好きです。運転がとても好きなうえ、一度通った道は忘れないという特技もあるので、「好きなことを仕事にするのは、いいことだ!」と、一時、ちょっと本気でタクシードライバーになろうかと考えたこともあります。渋滞も苦ではなく、一度、夏に蓼科に行ったときに、7時間ハンドルを握り続けたという体験があるほどです。だから、渋滞にイライラする人の気持ちがよくわからない。いや、もちろん、急いでいるときはイライラしますけどね。ゴルフやスキーなど、身体を動かした後の運転はさすがにつらいのですが、それ以外の場合は、「いつでもハンドルを握らせて!」という感じです。そんな私が唯一苦手なのは、縦列駐車や幅寄せ。あるとき、伊藤さんの家に車で行くことがあり、そのときに幅寄せをしなければなりませんでした。自分でやると時間がかかってしまうため、伊藤さんを待たせてはいけないと、「伊藤さん、代わってください」とお願いしてしまった。それ以来、私には「運転が下手」という烙印が押されてしまいました。私はこの評価には不満あり。私の運転する車に乗った人は、みんな私の運転をうまいといいます。本当ですよ。ぜひ試乗してください。右左どちらのハンドルも、軽も、セダンも、バンもなんでもいけます。(C)

私はペーパードライバーで、免許を取ってから、一度もまともに運転をしていません。免許を取るときは全部一発で合格したので、筋は悪くないと思うのですが・・・もう運転できる気がしません。忘れもしない1999年12月31日の夜。実家に帰った私は友人の車で外出しました。食事をして、2000年をどこで迎えるかという相談をするため、広い空き地に車を止めました。私はいたずら心からか、突然、運転させてくれと言ってみました。そして友人を隣に乗せ、空き地をグルグル。「結構、うまいんじゃん」などと調子に乗っていました。そろそろ飽きたので柵ギリギリのところで止めようと思った瞬間、車は加速、4メートル下にまっさかさま。(ちなみに落ちていく瞬間はスローモーションのようでした)。もうお気づきだと思いますが、私はアクセルとブレーキを間違えて踏んだのです。私が2000年を迎えたのはその崖の下でした。柵がクッションの役割を果たしてくれたので、打ち身程度で済みましたが、車は廃車。衝撃的な 2000年の幕開けでした。事故の瞬間、怒りもせずに、まず私のケガを心配してくれた友人の器の大きさに今でも感動しています。(M)

職場で周りの人と、車の話題になったときに「車運転できるの?」、「車を運転している姿が想像できない」、「電車が似合いそう」、「電車の運転席の後ろにかぶりついて前の景色を見てそう」などと散々言われたが、こう見えても車を運転するのが大好きだし、同乗者から「ぐっすり眠れる」と好評を博すほどの腕前である(この評判は運転技術よりも、おそらく会話がつまらないことに基づく)。免許取得後2日目に一人で首都高、2週間後には箱根の峠越えと浜松から東京までの高速というスパルタ教育のおかげで、運転に対しての恐怖心は全くなくなり、それ以来ドライブが趣味である。お酒を一滴も飲めないことになると分かっていても飲み会へ車で行って、友達たちがお酒を美味しそうに飲む脇でコーラを飲み、終電を逃した友達全員を自宅まで送り届けたことから、友達をして「おまえの天職はタクシードライバーだ」とまで言わしめるようにまでなった。また考え方が車ありきになったので、休日に駐車場や渋滞などで困難を要する都心に行くようなことがなくなり、もっぱら車で行きやすいところに行くようになったために、すっかり田舎者になってしまった。私自身は埼玉人なのでどうしようもないが、車だけでも都会的なものに乗りたいと思い、私が勝手に都会的でファッショナブルとイメージしているフォルクスワーゲンの旧型ビートルに乗りたい旨を車を買い換えようと思っている中学以来の友達に言ったところ「それじゃあ、お金をためて来年あたり買おう!俺もその時期買おうかなと思ってるから、マセラティを」。同じ中古の外車とはいえ、旧型ビートルとマセラティ、えらい差だ。。。(HK)

itoh.comトップ > エディターズ・ルーム > 2006年バックナンバー

go Pagetop