Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2006年3月31日(金) 「美術館」

割と何でも古典的なものが好きなのですが、美術だけはモダンアートが好きです。一番好きな美術館はMoMA(ニューヨーク近代美術館)です。でもどうも縁がないのか、私がNYに行くときに限って、改装中だったり、工事中だったりすることが多く、なかなか行くことができません。好きな画家はクリムトとダリ。どちらもあまり好きではなかったけれど、実物を見たら感動して好きになりました。やはり本物のパワーは違います。ところで美術館には椅子に座っている係の人がいますが、よく居眠りしないなぁといつも感心しています。私なら絶対に寝る自信があります。寝ている係の人を見たことがある人、ぜひお知らせください。(M)

私もMと同じく、ニューヨークのMoMAが大好きです。いつまでもいたいなあと思った初めての美術館でした。新しくなったと聞いたので、ぜひまた行きたいと思っています。ところで美術館といって思い出すのは、アングルの「泉」という作品。パリで見たという記憶から、ルーブルだと勝手に思っていたのですが、調べてみるとどうもオルセー美術館だったらしい。でもとにかく、入り口を入ってすぐの正面に、この「泉」という作品が置いてあり、衝撃を受けたのを覚えています。初めて絵に目を奪われて、ちょっと動けなくなるという体験をしました。どこにどう感銘を受けたのか説明することは難しいのですが、何の先入観もなく見た絵で、これほどインパクトを受け絵はほかにはありません。ネットで検索をすれば、いつでもその絵を見ることができますが、やはり美しい。それでもやっぱり、またホンモノを見たいなあと思います。(C)

私は粗野な男なので美術眼はまるでないが、素晴らしい美術品をたくさん見れば、私のどこか奥深いところに潜んでいるはずと信じている美術センスがいつかは覚醒すると思って、無理をして美術館に運ぶことがある。しかし、やはりどんなに素晴らしいといわれているものを鑑賞しようと、「へ~」以上の感想を持つことができず、例えばレンブラントの絵を見たところで、「へ~、これがルネサンス期のオランダで活躍したレンブラントの絵か~」と受験勉強の弊害そのものの感想しか抱くことができない。このような心の貧しい私は、美術品よりも、それを鑑賞する人を観察する方に興味を抱きだす。一つの絵にまるで吸い込まれるように立ち止まって見入っている人を見ては「この人はちゃんと分かるんだな~、すごいな~」と思い、現代アートの摩訶不思議な作品を見て「う~ん」と唸っている人がいれば、「よく理解できるよな、本当に分かってるのか?」と訝しがる。また美術館デートなどしているカップルがいて、男が相手の女の人に「この絵はね、、、」などと知ったかぶりしているシーンに出くわすと、どこか間違いがないか聞き耳立てて粗探しをする。特に女の人がきれいな人ほど、私は男の間違いを渇望し、実際に間違えたりしていると「ケケケ、間違えてやんの」と痛快な思いになってしまう。ここまでくると嫉みでしかなく、どういう目的で美術館に入ったか見失ってしまう。それに比べて歴史的展示物が溢れている博物館だと、展示物に集中できるから好きだ。例えばちょっとした陶器のかけらであっても「これを使っていた人はこういう服装をしていて、ああいう生活を送っていて、それでその家族はこうで、ああで、、」と、文字で追うだけの無機質な歴史から解き放されて、実写となった歴史の息吹が怒涛のように私に飛び込んでくるのだ。今までで一番そうした空想に駆られたのは古代エジプトのアメンホテプ4世(イクナートン)の胸像を見たときだ。きつね目で不気味に微笑んでいる面長な顔から、世界史上初めて唯一神信仰を行ったほどの異端児の面影を感じ取れ、歴史研究では限界があるこの人の心の中について思いをはせ、身震いした。美術館でもこういう思いができれば、どんなに楽しいだろうか。(HK)

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