Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2006年3月10日(金) 「春なのに」

春というと、寒い冬が明けて暖かくなり、木々は芽吹いて、色とりどりの花が咲いて、、、というように、なんとなく明るく楽しいイメージがあります。そのせいか、春というと「いい」季節という印象が強いのか、あまり悪く言う人はいない。イギリスの詩人にT.S.エリオットという人がいます。彼の有名な作品に「The WasteLand」という詩があるのですが、その詩は、April is the cruellest month. (4月はもっとも残酷な月だ) という一文で始まります。その詩を教えてくれた先生は、一般に4月は明るくて優しいイメージなのに、エリオットが逆説的に4月をこう表現したことがセンセーショナルだった、と話してくれました。そして、確か、4月はいい季節なのか? という問いを、人々に投げかけた、と言っていたような気がします。確かに、4月が「いい」季節だっていうのは、単に世の中のイメージで、そう思わなくちゃいけないと思わされているようなところがある。春になると花粉が飛んで花粉症の人たちはつらいし、私は個人的に体調が一番悪くなるのが春。だんだん暖かくなっていくと、縮こまっていた血管が拡張し始めたり、代謝が活発になったりして、体調の不調を訴える人が少なくないそうです。「春なのに」って、春はいいものだって思わされているセリフだ。春になると、いつもエリオットの詩の一節を思い出します。(C)

春といえば「卒業」、「別れ」。でも今年の私は“春なのに”、何からも卒業しないし、誰とも別れる気配がありません。新しい1年が始まる春は、「卒業」や「別れ」が多いため、一番嫌いな季節でした。別れ以外にも、春になると「また大きな変化も成長もないまま、新しい1年が始まってしまった」と落ち込んだりすることも多かったのですが、今年はそういう焦りもありません。のんびりとした穏やかな時間が過ぎていきそうです。今年は春の良さ、楽しさが満喫できるかもしれません。こんなこと、もしかして初めてかも!?(M)

先週末、JR東海の「うましうるわし奈良」のCMでやっていた古都・奈良に春の到来を告げる東大寺の「お水取り」を見に行った。お堂の舞台の上の僧侶が大きな松明を持って走る迫力にやられてしまったのだ。灰や火の粉を被りながら見た、その迫力は言葉では言い表すことはできない。この炎が1000年以上耐えることなく関西地方に春をもたらすのだ。翻って関東地方は「春なのに」、何か特別な行事があるわけではない。日本全国どこでもそうであるように、春一番が吹き、桜が咲くぐらいだ。それはそれなりに心が華やぐが、やはり関西に比べて、人が長い歴史の中で作り出した伝統的な「春の到来」を感じることが少ないのは寂しいものである。関西に住むことに憧れ、住む人を羨ましく思う。とはいえ、やはり私は関東に住み続けたい。どんなに「ダ埼玉」、「ク埼玉」とバカにされようが、地元の埼玉を愛し、埼玉に骨をうずめるつもりである。しかし埼玉都民と称される人の中には出身地を問われて「東京です」と答える人が多いのは嘆かわしい。このような友人の一人に私は言いたい、「『春(日部市民)なのに』、都民面するな!」と。(HK)

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