Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2006年2月24日(金) 「ささやかな幸せ」

「幸せ」とは「ささやかな幸せ」の積み重ねかもしれないと思っています。私が「ささやかな幸せ」を感じるのは・・・ おいしいものを食べているとき、ヨガでできなかったポーズができたとき、ゆったりとした気持ちで眠れるとき、お昼寝するとき、ひとりでボーっとしているとき、好きな曲を聴いているとき、いい映画をみたとき、愛猫の寝顔を観ているとき、電車で席を譲ってにっこり笑ってもらえたとき、友達とくだらない話をしているときなど、数限りなくあります。でも大切なのは、その瞬間を「幸せ」だと感じられる心の余裕だと思います。ここしばらくは、なぜかそういう余裕がなかったような気がしています。常に「ささやかな幸せ」を感じられる、そんな平和な心で生活できればいいのになぁ・・・。(M)

またまた数学の話で恐縮ですが、私が一番最近幸せを感じたのは、一昨日、アマゾンで注文した中2の問題集に「一次関数」のセクションを見つけたとき。ささやかというより、かなりうれしかった。私はいま、数学を勉強しなおしていますが、とにかく問題数をこなそうと、問題集を買うことにしました。書店に行く時間がなかったので、アマゾンで買うことにしたのですが、中1の問題集を買ったところ、関数という文字が見当たらない。「座標と軸」というセクションに、関数らしきものがあるだけ。そこで、翌日、中2の問題集を注文したのでした。届いた日はかなりうれしくて、夜のかなり遅い時間だったのにもかかわらず、問題に取り組みました。いまや私の中で、数学の問題集は夜の楽しみとなりつつあります。実は、今日から二次関数に進みます。中3の問題集も買わなくちゃ。(C)

「ささやか」程度の幸せだったら、その出来事や物事の解釈次第で作り出せると思う。どれだけ前向きになれるかということがカギだ。たとえば、ウォーターサーバーに水の入った重いボトルをセットする際、「こんなボクでも皆様のお役に立てた」と思えば、この作業もささやかな幸せとなり、腕にのしかかる重さも心地よく感じるが、逆に「このオレ様が水のセット?冗談じゃないよ。」と思えば、不幸なものになり、腕や腰を痛める自分の運命に絶望する(もちろん私はこの作業をあまりやる機会はないが、喜んで行う意思だけはあることを強く主張したい)。このように気持ちの持ちようでどうにでもなるということは、今まで不幸と思っていたことも、考え次第でささやかな幸せに転換できるということである。明朗快活だった高校生時代(過去は美化されるものだ)、通学途中にハトの糞が頭上に降ってきた。これはどう考えても不幸だと思われるかもしれないが、「誰かが被ることになった不幸を身代わりになった」、「地面が汚れるのを未然に防いだ」と思えば、英雄的心情になれて、ささやかな幸せと思えなくもないかもしれない。紅顔の美少年だった小学生時代(過去は美化されるものだ)、ドブにはまったところを好きな女の子に見られて大笑いされたことがあったが、これも「自分を最大級に落とすことによって好きな女の子とコミュニケーションできた!」と思えば、ささやかな幸せになるかな。。。(泣) (HK)

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