Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2006年2月3日(金) 「豆まき」

以前書いたことがあるかもしれないネタですが、、、。私の実家はお寺で、節分は「節分会(せつぶんえ)」といって、ひとつのイベントです。よくテレビで、お寺や神社で、タレントが裃を着て豆をまく風景を目にしますが、ああいったものです。もちろん、そんなに大規模で派手なものではありません。お寺の檀家さんが集まって、法要をして、豆まきをするわけです。豆と一緒にお菓子もまきます。豆の中には、金色の小さな大黒さまもいくつか入っていて、それを拾った人は、その年はラッキーだというお楽しみもあります。前置きはさておき、もうだいぶ前のこと。豆まきを始める前に、父は言いました。「このお寺の入り口には、仁王様が立っています。ご存知のとおり、仁王様は鬼です。ですので、このお寺では『鬼は外』とは言いません。みなさん、『福は内』だけでお願いします」。そして、おもむろに豆の入った枡に手を入れた父の第一声は、『オニはぁ、そとぉ!』。そこにいた全員が呆然とし、誰ひとり声を出すことができなかったのでした。(C)

うちは割と忠実に年中行事を行う家です。そして豆まきもその例にもれません。特に誰かが鬼のお面をつけるわけではありませんが、「鬼は外」「福はうち」と家の入り口、窓という窓から豆をまきました。それから年の数の豆を食べます。子供のころは、あの豆が本当に嫌いでした。味もないし、固い。でも必ず年の数の豆を食べさせられました。今考えると、当時、60歳を超えていた祖父や祖母も年の数だけ食べていたんですね。今年は久しぶりに豆まきをしようかな。かなりの数の豆を食べることになりそうだけど・・・。(M)

Cさんにどんなに「未成年」、「お酒を飲んでいる姿を見ると、注意したくなる」、「カツオ」と笑われようとも、年齢的には大人になった今(精神的に大人になったという自信はない)、節分を意識することはなくなった。なので、節分と問われれば子どもの頃の思い出しかない。ただ、豆まきはしていない。ひたすら豆を食べていたのだ。最初は歳の数だけ食べようと思っても、いったん食べ始めると、やめられない、止まらない。気づいたときには20粒、30粒になり、お腹いっぱいになるまでひたすら食べ続ける。私がこうなってしまったのは「本当の鬼は自分の心の闇に潜んでいる」という観念に起因しているわけではなく、旺盛な食欲が原因であることを素直に認める。しかし、最大の要因は父親である。父は豆が大好きで、普段から硬い豆をよく食べているのだが、節分のときでも、まく前に食べつくそうとするのである。悠長に豆などまいていたら私の取り分がなくなってしまう。親子で争うようにバリバリ貪り食べるのが、我が家の節分の風景であった。ある意味で親子の最高のコミュニケーションだった。父は単身赴任で今は地方にいるのだが、今度こっちに帰ってきたときは一緒に飲みながら、枝豆でも食べるとするか。(HK)

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