Editor's Room

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2004年11月26日(金) 「運転免許」

17くらいのときにカリフォルニアで取得しました。向こうは車がないと生活できない場所ですから、高校の特別クラスのような形で仮免がとれるのです。本免も順調にとれ、下手なりにも何とか運転する日々。その後、日本に帰国しました。日本で運転するには、カリフォルニアライセンスを国際免許に書き換える必要があります。簡単な筆記と15分程度のコースを走る実施なのですが、甘く見ていたのが大間違いでした。筆記は何とかクリア。しかし、問題は実施でした。1回目、過度の緊張により右斜線と左斜線を間違えて入る。危険すぎます。開始2分にて「今日はここまででいいです。」と軽く落とされる。2回目、ウィンカーと間違えてワイパーを起動。3回目…4回目…。やっと15分のコースを完走する、という最低限のところにたどり着いたのはいつだったでしょうか。失格の烙印で1枚の紙が埋まる頃、私はそこまで苦労したことを考える間もなくスッパリと免許取得を諦めました。もちろん今では後悔してます。(Y)

20歳のときに運転免許を取って以来、ほとんど乗らないペーパードライバーの私。西暦が2000年に変わろうとする1999年12月31日の大晦日、私は実家の近所で友達の車を何年ぶりかで運転していました。しかし!止まろうと思ったところで、アクセルとブレーキを間違え、なんと網のフェンスを越え車は4 メートル下へまっさかさまに転落。「え・・・・。」と私と私の友人は状況が飲み込めません。まず車から脱出し、友人が壁をよじ登りJAFを呼んでくれました。その間に、見事2000年は始まっていました。ケガをしなかったのは奇跡的ですが、その車は廃車になりました。免許持ってても運転しないほうがいいですね、私の場合。これが私の2000年の幕開けでした。(M)

以前の職場の求人広告には「運転免許必須」と書いてありました。国連関係の外郭団体だったので、「いったいなぜ?」と、ちょっと不思議に思いながら、応募しました。就職してその理由が判明。私が配属されたのは、その団体の学校事業部。年に3回、日本全国の小・中・高校をバンを運転してまわり、世界の子どもたちを取り巻く環境について話をするという仕事があったのです。まあサーカスみたいな仕事ですね。スタッフみんなでおそろいのブレザーを着、体育館などで子どもたちに話をするという仕事。楽しい仕事でした。その仕事で全国を運転してまわったので、私が日本で足を踏み入れたことのない県は、近畿地方のみとなりました。懐かしい。(C)

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