Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2002年12月6日(金) 「苦手な科目」

わたしは、とにかく数学が苦手です。でもすっごく嫌いになったのは、小学校5年生のとき。5段階の通知票で、一生懸命取り組んだ算数ではじめて「3」をとってしまったのです。ショックでした。その学期末の先生との面談で、「クラス内で、それぞれの成績をとれる人数が決まっていてね。Tは4にしてあげたかったんだが、4はもう人数がいっぱいで」と、言われたのです。なんだか、腑に落ちないというか、というか、あまりなぐさめになっていない先生に対する不快感というか。とにかく、算数への苦手意識はこのときを機に助長されていったに違いありません。(T)

私がクレヨンでキツネを書いたとき、母親は「まあ、上手に絵を書いたのね。これはパイナップル? 」と言いました。それ以来、絵を書かされることへの恐怖が消えたことはありません。しかし大嫌いな図画工作の時間、公園に出かけて写生をすることに! 仕方がないので絵が上手い子の隣に座り、横目で見ながら下書きをしました。見回りに来た先生が「お、結構いいね」と言ったので、一安心。はりきって色を塗り始めたら、どんどん公園がブラックホールに変わっていきました。先生が私の絵を見るたび、険しい顔になっていったのを覚えています。それを笑い話として語れるようになったとき、「私も大人になったなあ」と思ったのでした。(A)

苦手な科目は、料理実習。高校2年の時の料理実習は思い出すのも悲惨なものでした。5人のグループで、おもてなし料理を作る授業でした。このグループ、誰も料理をきちんと作ったことが無い。季節は秋、まず炒った銀杏を松葉に刺した突き出しからでした。さて、銀杏を炒るには、まず殻を割る。家庭科の先生は、いとも簡単に割っていました。私たちのメンバーも、かなづちで割りました。しかも、時間を短縮したいと思って、全部一緒に袋に入れて力いっぱい金槌で叩きました。力加減を知らない悲しさ。銀杏はこなごなになってしまいました。数が決まっているので、やり直しもできず、そのまま、こなごなの銀杏がお皿に載りました。おもてなし料理ということでお客様として、先生を招いていました。最初の料理だけでなく、どの料理も焦げあり、芯有り、だま有り、とても料理とは言えない出来でした。お客様の先生は、何も言わず食べてくれましたが、その後、お腹は大丈夫だったのでしょうか??(KM)

私はきっと計算障害です。LDの原稿を担当していて気付きました。とにかく暗算が出来ないのです。算数や数学のいわゆる期末テストのようなものは、そこそこの点数が取れ、1度はクラスで1番高得点を取ったこともあったのですが、本当に基本的な計算を紙に書かずに頭ですることが出来ないのです。人よりも暗算ができないと自覚し始めたのが小学校2年生くらいからなので、これはもう筋金入りです。今でも友人と食事をして割り勘にするときは、携帯の計算機を取り出すか、他の人にまかせっきりで、最初から試みようともしませんね。こうやって私の脳の計算する機能はどんどんなまってゆくのでしょう。(ky)

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