Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2002年6月28日(金) 「韓国」

ソウルでオリンピックがあったのは1988年。高校時代、馬術部に所属していた私は、「もし韓国語ができたら、ソウルオリンピックの馬術競技関係でボランティアができるかも!」とすばらしいことを思いつき、1987年4月に、神田外語学院の韓国語講座に申し込んだのでした。初めて触れる韓国語はとてもおもしろく、発音をほめられたりして調子に乗り、NHKテレビの韓国語会話まで見て勉強しました。ところが、すぐに違うことに興味が移ったのか、熱中したのは今では思い出せないくらい短い期間だったのです。熱しやすく冷めやすい私。というわけで、ハングル文字は読めるようになったものの、翌年のオリンピックは家でテレビで観ていました。(C)

実家に帰るより簡単にいけそうな気がして、海外旅行の計画を立てるときに韓国は絶対に候補にあがってこない国のひとつでした。でも、このところのアジアブームや、ワールドカップの報道を見ていると、行かなければという熱い思いにかきたてられます。でもやっぱり、いざ旅行だっ!てことになると視界から消えてしまうんですよねー。先日会社の先輩に韓国でのワールドカップ観戦に誘われたときは、結局は「サッカーを見に、海外に行くのはしんどい」という、いかにも「にわかファン的」理由で断ってしまいました。ほんとうはスケジュール的に厳しかったとはいえ、こうやってこのまま一生いかないのかもしれないな。。。(T)

韓国と言えば、思い出すのが韓国人のチョウさん。留学生として日本に2年間滞在し、私の実家(栃木県)に遊びにきていました。彼女はソウル出身で、「日本の米作りを見たい!!」ということで4月の田植えの時期に一緒に手伝ってもらいました。長靴ともんぺを履き、稲を植える姿はなかなかサマになっていました。その一生懸命な姿にうちのおばあちゃんは、「秋にはチョウさんの植えた稲がお米になるから、日本にまた帰ってくるといいよ。」と言っていました。その2週間後チョウさんは韓国に帰り、実家に韓国の特産物の“ゆず茶”を送ってきてくれたのです。それを家族で飲む度にチョウさんを思い出します。今年の秋、チョウさんの手伝ってくれた米の収穫が楽しみです。(M)

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