Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2002年2月15日(金) 「バレンタインデーの思い出」

今からさかのぼること約20ン年前、私はアメリカニューヨーク州のハイスクールにおりました。アメリカのハイスクールで、特に色っぽくなるのは、バレンタインデーと、シニアプロムという卒業式と一緒に行うダンスパーティの日です。というのは、その時に、いわゆる「私のカレシ」というのがはっきり周りに分かる日なのです。その20ン年前のバレンタインデーの日、ある男生徒がなんと授業中に前のドアから堂々と入ってきて、中の女の子をひとり手招きしました。授業中だったにも関わらず、男の先生は、「え、誰? ジュディーかい? おいジュディーカレシが呼んでるぞ」 と言って、彼女を外に行かせてあげました。その時言った一言が忘れない。「You, son of a gun. (まったくたいしたやつさ、、、)」。そしてその後、ジュディーは、赤いハート形のチョコレートボックスを持って帰ってきました。ああー、まるで映画・・・。(K)

私は、バレンタインデーにほとんど思い出がありません。小さい頃は恥ずかしくてチョコレートを渡せず、ドキドキハラハラするという甘酸っぱい体験もないまま、おとなになってしまいました。大学生くらいからは、どっちかっていうともらいたいわ、、、という感じになり、そのままあげずに過ごしています。なんだかわざわざ、、、という感じで、実は夫にもあげたことがありません。プライドが高くてつまらない人生を送ってきたわけです。このテーマを決める際に、「バレンタインデーの思い出なんてないー」と言ったところ、「これからつくればいいじゃない」と言われました。それで思わず「婚外恋愛ってこと?」とはりきってしまった 私。これから思い出づくり。それを考えるとちょっと楽しいですね。(C)

チョコレート中毒とも言える私は、ずっと、なんで男の子ばっかりチョコもらえるの!私もチョコが欲しーいっ!とバレンタインデーにチョコがもらえる男達に嫉妬していました。そんな私にも人生で唯一、ウハウハのバレンタインを迎えるチャンスがあったのです。それは滞米中のこと。欧米ではどちらかというと男性から女性にお花や本やカードなどプレゼントを送るほうが主流なんです。当日、私は日中通っているトレーニングオフィスのレターボックスにハートのチョコと ”guess who!?”とだけ書かれたカードがいつの間にか入っているのを見つけ(これはちょっと怖かったのですが)、シークレットサンタ(後で私のサンタはアメリカ人スタッフのミッシェル(女性)と判明)からもこっそりチョコをもらいました。その日の夕方、個人的に通っていた英語学校のクラスメートで18歳のモンゴル人の男の子には、大きな花束とアソートチョコを1箱もらってしまったのでした。その時ばかりは、「う~ん、私ったら罪つくりな女♪」とご満悦だったのです。またあげる方に戻ってしまった今、あの頃が懐かしい。(ky)

高校生の頃、彼氏にスーパーで買った板チョコをあげようとして、友人に強く止められたことがいまでも心に残っています。みると、友人はおしゃれなお店でオシャレに包まれたチョコレートにプレゼントまでつけている! その子があんまり止めるので結局自分で食べてしまいました。ほんとうは、板チョコを食べやすくばりばりに折って、リボンをかけて渡してみたかったとも言えず、板チョコの何がどうしていけないんだろう、、、と考えながら。それ以来、バレンタインデーというものから遠ざかっています。(T)

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