コミュニケーションの中身は一体何なのか。人が話すことの中身は何なのか。基本的にはひとつだけです。要求があるんですよ。
例えば、男の人が女の人に「お話ししたい」と思うじゃないですか。あれは「お話ししたい」だけじゃないんですね、実は。あわよくば、あらゆる段階を想定してるんです。でもいろいろな状況があってあきらめていくんですけど、最近あきらめることが多すぎる。昨日あきらめない友達と一緒に食事をしたんだけど、すごい。要求する。世の中で結構上手く行っている人たちは要求してるんです。こうして欲しい、こうして欲しくないというのをはっきり打ち出してる。そうすると、わがままだ、勝手な人だってバンバン言われる。それでも自分の欲しいもの手に入れようと思ったら、要求する人は、やって欲しい、やって欲しくないと言う。
基本的には、女の子をデートに誘わないと始まらないわけです。ご飯食べに行こう、お茶飲みに行こう、映画見に行こうと誘わないと始まらない。ところがなぜ人は要求しないのかというと、すごく簡単です。要求したことに対して、断られるというリスクが付いて回るからです。あるいは、ずうずうしいと反撃される可能性だってある。多くの人は、要求が飲まれなかったために傷ついたと言う。でも機能的な人というのは、要求しても9割9分はうまく行かないという前提で生きています。つまり下手な鉄砲数撃ちゃ当たるわけです。ただし撃たなくては絶対に当たらない。
コミュニケーションは要求することなんです。部署を変えてくれと言う。そうすると、もっと悪い立場に落とされるかもしれない。それでみんなはどうするかというと「考えよう」という優柔不断のプラットフォームに逃げちゃうんです。そして優柔不断な中に逃げながら自己正当化に入る。私はずうずうしく物を言うような人間じゃないんだ、というような所で時間が経っていくわけです。経ったでしょう? 思ったより早く。
要求したら断られるし立場は悪くなるかもしれない。でも要求しなければ絶対に始まらない。それじゃ、要求したらいいのかってよく聞かれるんですけど、それは僕は知らない。それを誰かに尋ねるのはアホのやることだと思う。それはあなたが決めて責任持てばいいじゃないですか。
要求すれば上手くいく、僕はそういうふうに思います。要求することはいいことなのか、知らない。要求したらどれくらいの確率で危ないのか? 98%くらいの確率で危ない。でも何もしないでいるのも危ない。動いても危ないし、止まっても危ない。生きてるのは危ない。では、どうしたらいいか? それを考えるのは、あなたです。じゃあお前はなんで前でしゃべってるんだ、と。僕が言いたいのは、人生は危ないということです。そういうものですよ。大丈夫、時間が経つから、必ず。僕は最近ほとんどの問題は時間が解決するなと思いますね。知らんぷりしていると、そのうち何とかなります。結構恥ずかしいことも数々あったけど、大丈夫。 |