自分のほうからしゃべっちゃうの、それを。相手を黙らせたい時には、相手が聞きたいことを先に言う。そうすると相手は「もういい」ということになるんですね。そして、「話してるのに聞いてくれないね」なんて言っておくと、もう二度と聞かれないで済みます。人は、基本的には人の話を聞くのが嫌なんです。でも聞かないでいると、どうもどつぼにはまるな、と薄々思っているから、たまに聞くわけです。それはとりあえず安全な形ですから。人の話を聞くのが苦痛ということは、相手も聞く側に回れば苦痛なんです。そのロジックを使えば、自分の方から言っちゃった方が早いってことです。
または、相手に聞かれて嫌々答えたり面倒臭がったりしないで、正面向いて答えることですね。コミュニケーションは体力が要りますよ。だいたい演壇に立って1回話すと、1kgぐらいは痩せます。それは汗だくになるものですよ。人と話していて、例えば3日とか4日のプログラムをやれば、2kgぐらいは十分痩せます。人としゃべるのは、体力要りますよ。口先でなんか、なかなかやれないですよ。
だから、人としゃべる時には、面と向かって「さあやりましょうか」というような所に移動しないと、ちゃんとした会話にはなりません。やっぱり最初にキメは要りますよ。「じゃあ話そう」とか、「1時間は話そう」というようなキメが無いと。とどのつまり「面倒臭い」と言いながら、コミュニケーションに背を向けて、ぐずぐず逃げ回っているんだと思います。なぜかというと、コミュニケーションを起こすと物事がはっきりしますからね。そこから逃げるための正当化として、面倒臭いとかこうだとかああだとうかって色々言ってるんだと思います。でも、面と向かってしゃべってみようかな、という風に思ったら、事態はあなたの側から変えていくことができると思います。自分の側からちゃんと、とことんしゃべってみようかな、と思った途端に、人生はあなた任せじゃなくて自分任せになりますからね。そうすると、さっきまで欲しくなかった自信も着いて来ちゃうわけです。どこかで、面と向かってしゃべろう、って思う人は、毅然としますからね。聞く側も根性が入りますよ。トラやライオンにとって、爪や筋肉や牙が生きるための道具であるとすれば、人間にとってコミュニケーションは似たような部分を持っています。相手と対峙する、パーソナル・コミュニケーションを交わそうと思った時は、一人の人間としての尊厳が生まれる時だと思います。 |