適性は自分の欲から来るんです。何がしたいかっていう欲求、すごく大事でしょう。“欲深い”とか言われて、欲を持つことはどこか否定されていますけども、自分の中の欲求に対して素直に生きている人というのは、適性に関して間違わないですね。適性を見つけるのがうまい。これはしていていい感じ、とか、よくない感じ、というのが見つけられるから。
適性を見つけるためには、欲求をあまり抑えないこと。これは、子供とか周りの人間に対しても同じです。あれしちゃダメ、これしちゃダメ、と言われてると適性がどんどんわからなくなっちゃう。学校の図工の時間に絵を描いて、もう少しこう描くといいですね、なんて言われた日にゃ、終わりなわけですよ。何で? って感じじゃないですか。歌をうたうと、もっときれいな声で、とか言われちゃう。じゃあ学校の時間にボブ・ディランが歌ったら、どうなるの?
好きなことやった方がいい。朝から晩まで、好きなことばっかりやっていいの。責任はあなたが取ればいいんですから。責任を取る量が大きくなればなるほど、好きなことがやれるんです。よく「我慢していれば、いつか好きなことができる」と言う人がいるけれど、我慢はダメ。我慢はただ“いい人”という代償を、報酬を手にしちゃうから。“いい人”やっても別に好きなことはやれない。
世の中そんなに甘くないって? それはすぐひどい目に遭うからわかりますよ。僕は好きなことやって、本当にひどい目に遭いましたよ、何回もね。ひがみ、やっかみの世界の中に入っていくのは決まってますから。でも自分はそれに染まらないで生きていられるかどうかという、自分なりのポリシー、自分なりのスタンダードが、僕たちは欲しいじゃないですか。
でもそれが、結局今手にしているようなものを手にしちゃうわけです。そこそこの世間体とか、人には少なくとも後ろ指指されていないとか。でもそんなこと、どうでもいいじゃん。好きなことやればいい。道徳なんて外から押しつけてもらわなくても、僕は人間は基本的に倫理的だと思っています。欲求が押しつけられてしまったために起こってる問題の方が僕は大きいと思います。 |