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2006年05月11日

「遅すぎることはあっても、早過ぎることはない」

26歳で事業を始めたときに、
まわりの人たちは口を揃えて言いました。

「早過ぎる」
「もう少し経験を積んでから」

唯一、父だけが、

「遅すぎることはあっても、早すぎることはない。
本人がやりたいと思うのが一番大事だ」

その一言で、レッツゴー。
 
やめさせてもらいたい気もちも多少あったのですが
父の一言で、戻れなくなった。
本当に自分の責任でやるんだと思った。
 
ちょっとめげたときには

「受身になっちゃお終いだ」

それで、私は

「責任と合体する」 

へ〜んしん。
 

全然違う話ですが
要するに、ずうずうしいってなにかと思っていましたが
感受性が低くなったり、情緒がなくなると
そうなるのだと思いました。

先日書いた、がん細胞なんて、
ずうずうしいですよね。

Posted by itohco at 13:36

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コメント

ずうずうしさと生命力には相関があると思います。がん細胞が生き残るのもそういうわけだと思います。組織でも生き残るのは、基本的にずうずうしいもの、組織を壊すのもずうずうしいもの。安定を求めた社会では、ずうずうしさは否定されましたが、変革を求められている社会にはずうずうしさは必要とされると思います。

普通、ずうずうしさと感受性は相反するものだと思います。一般に女性は、ずうずうしさと感受性の両方を男性より持っている気がします。男性は、女性より感受性がありませんが、ずうずうしさもないところがあると思います。そういえば、小泉さんなんて、意識して両方やってる気がします。変革の時代に生きるには、それが生き残りの戦略なのでしょうか。

投稿者 ao : 2006年05月29日 14:38

「やめさせてもらいたい気もちも多少あったのですが父の一言で、戻れなくなった。」
ここが面白かったです。

投稿者 HK : 2006年07月20日 17:06

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