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2006年01月26日
感動について
感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ。
― ウィルヘルム・フルトヴェングラー ―
(ドイツ指揮者)
これは、アシスタントがときどき僕に送ってくれる\n世界の名言のひとつです。
私は、フルトベングラーが大好きです。
そして、とてもすばらしい彼の視点に感動したので、
この名言をみなさんにご紹介します。
感動は、人間の中ではなくて、人と人の間にあるんですね。
Posted by itohco at 16:56 | トラックバック
2006年01月19日
身体とコミュニケートする
人間の脳や身体は、この数千年ですごく進歩したように思われていますが、
私たちを取り巻く環境が変化したほど変わっていません。
頭と身体は、いまだに荒野を駆け回っているときと同じ状態にあります。
ストレス反応は、その顕著な例です。
こうなると、自分の身体や頭に向かって言葉でコミュニケートしようとしても、
簡単に伝わるものではありません。
何しろ、身体と脳は大昔に住んでいて、
言葉は最近なんとか通じつつあるものですから、
ゴリラに向かって話しかけているようなものなのです。
どうやって自分とコミュニケーションを交わせるようになるか。
これがちょっとした課題なわけです。
ちょっと前は、野口体操の野口さんとか、田中泯さん、彼らは身体の動きを通して、
ある人は音を通して、ある人は絵を通して、ある人は文章を通して、、、。
それで、最近わかったのですが、
「心拍数」を上げることで、自分の身体と脳に信号を送れるのです。
脳や身体は、動かないでいると、どうも「衰退モード」にスイッチが入る。
自分から動き出すと「元気モード」にスイッチが入る。
心拍数を上げることで、自分は荒野をかけ回っている。
または、まだ獲物を取りに行かないと行けない。
俺は「ゴリラだー!」とか思うんでしょうかね。
そういえば、つい先日亡くなった三浦敬三さんも、毎朝走っていたそうです。
彼は、「いい運動は、終わった後にすがすがしい」とおっしゃていました。
彼も走りながら「ゴリラだー!」なんて、思っていたんでしょうかね。
100歳を超えても走るのであれば、50代の私が走らない理由はない。
もちろん怪我には注意しながら、私は走る。スキーもやる。
この半年で40代の体力に戻す。そして、後半で30代だ。
とりあえず千鳥が淵を歩く!
PC:
手のモデルさんを「手タレ」というのだそうです。
足の場合は「足タレ」。
いるかどうかは知りませんが、鼻のモデルさんは、
やっぱり、ハナタレなんでしょうか?
バカタレはいますよね、いっぱい。
Posted by itohco at 11:14 | トラックバック
2006年01月16日
千鳥が淵を走る
週に6日は(220−年齢)×0.7〜0.8の
心拍数を上げることを仕事のようにしている。
そのためには、最初に10分程度のウォーキング、それから走り出す。
だいたい10分から15分は走る。
それから10分くらいのウォーキング。
これで合計30〜40分のエクササイズ。
プラス、ストレッチを毎日15分ぐらい。
それと、トランポリン。
トランポリンは、リンパの流れをよくするために。
それから、逆立ち。これは、内臓の位置を元に戻すために。
日曜日には、ついに、皇居一周に挑戦したのですが、
途中からの雨で、仕方なく断念しました。
近日走りたいと思います。
思い返せば、この10年ぐらい、走ったことなどありません。
走っているのか、早足なのかわかりませんが、
走って、私は自分の身体と脳にコミュニケートしている。
人間の頭の大部分と身体のほとんどは、
何万年も前と変わらない状態のままです。
確かに、人間を取り巻く環境は変わりましたが、
人間そのものは、ほとんど進化していません。
ストレス反応がいい例で、人間が荒野で狩をしている頃の反応です。
獣に襲われそうになったときに、交感神経が優位になり、
心拍数を上げ、ストレスホルモンを分泌し、
手に汗をかきます(ものを握りやすくするために)。
それから、血液をドロドロにします
(獣にかまれたときに、血が凝固しやすいように)。
それに、指先の毛細血管を収縮させて、
血液を脳や心臓、大きな筋肉に送り込みます。
そのために指先の温度は、6〜7度下がります。
問題は、獣に出会うことなどほとんどなくなった現代でも、
同じような反応を繰り返し、その副作用に悩まされているという点です。
締め切り、ちょっとした人間関係のもつれ、急いでいるときに靴ひもが切れる。
そのたびに、獣に襲われたときと同じ反応を繰り返していたら、
その疑似体験だけで、充分疲労困憊してしまうことになります。
人間の頭の大部分、そして身体のほとんどは、何万年も前のままなのです
だから、そこにコミュニケートしようとすれば、言葉は機能しません。
そこで、心拍数を上げるというコミュニケーション手段を\n思いついた人がいるわけです。
つづきは明日にします。
Posted by itohco at 16:45 | トラックバック
2006年01月03日
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします。
年末は、30日、31日とスキーに出かけ、
あまりに楽しいので、元日にも出かけました。
3日とも快晴で、遠く、月山や朝日連峰まで見えました。
前の日に積もった新雪の上を滑るのは本当に気分がいい。
一日は、コーチをつけました。
私が10代、20代の頃とはずいぶん道具も進歩して、
それにつれて教え方も変わりました。
何かとイメージの話が出てきたりする。
「重力を感じて、そして、その重力を使って、他にはいろいろやらなくていいんです」
「その重力を使って、行きたいところを向けばいいんです」
ときどき、的を射たアクノレッジメントもあって
「よくスキーがコントロールされていますね」
「一度覚えた技術は忘れないといいますけど、本当ですね」
クー。
それで、いろいろ気づくことがありました。
斜面を降りるときは、徐々に加速される訳ですから、
減速するためにときどきエッジを立てていました。
しかし、重力を使うという視点に立つと、
スピードを落とすために何かをするのではなく、
行きたいところ、つまり、スキーを山側に向けるだけでいいわけです。
谷川に向ければ加速する。山側に向ければ減速する。
もちろん、加速、減速と考えるのではなく、
行きたい所へ自分の重心を向ける。
そうすると、どんな斜面でも、同じスピードで滑れるわけです。
未だときどき減速しようとしてしまいますが、
それ以外のときの自由な感じは、
これまでスキーをやっていて、あまり経験したことのないものです。
自分が重力とともに落下するように、前傾になってゆく。
それはなんとも言えない気分、、、。
息子も上手になって、一緒に滑るのはまた楽しい。
奥さんも、もちりんです。
東京に帰ったら、スキー靴のいいやつを探しに行こうっと。