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2005年06月22日
疑うこと、信じること
疑うことは、誰にでも備わった能力です。
「疑う」の語源は、数字の「弐」で、
右か左か、正しいか間違っているか、
このように二極化して、物事をとらえることを意味します。
なんでも、とりあえず疑っておけば、安全は守られるわけです。
信じる。これは練習をして身に着けることのできる能力です。
疑うことは、誰にでもできます。でも信じるのは難しい。
携帯電話を持つようになると、
誰かと待ち合わせをしていて、ちょっとでも遅れると、
お互いに電話して安心させあう。
これだと、信じる力は育たない。
「来る」のを待つ。その間のさまざまな思い、感情。
それらを経験することなく、信じる力など育たないのです。
「待つ」。
その間の「もしかしたら」「もし」との葛藤を通して、信じる力は養われます。
その信じる力は、真の楽観性にもつながっているように思います。
Posted by itohco at 23:19 | トラックバック
フィードバックその4
マイクロフォンとスピーカーを近づけると、
「キーン」とハウリングを起こします。
ご存知のように、マイクロフォンとスピーカーは基本的に同じ構造です。
共鳴版があり、それを振動させ、音を信号に変え、伝達する。
一方は、共鳴版を振動させ、音を外に出す。
ですから、マイクロフォンは、ラジオなどの out put につなぐと、
当然音が出ます。
エレキギターも、マイクのところをスピーカーに近づけると、
ハウリングを起こします。
ハウリングを利用した、フィードバック奏法というのがあります。
こうしてみると、どこか気になる人は、
何か同調させるものがあるのでしょうね。
それが好きな人でも、嫌いな人でも、
自分と同じ何かを持っているのでしょうね。
そうでなければ、気にもならないはずです。
何か同じものを持っているから、気になるんです。
知らない間に共鳴してしまう。
お互いにフィードバックしているんですね。
いったい何に気づかせようとしているんでしょうかね。